日本ファシズム(結束主義)の可能性~ファシズム史と日本

同盟ブロガーである「大和民族の団結」様がその「団結」の意義について語った。

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大和民族の団結」とは何か 目指すべきは結束主義


森友学園の公文書改ざん問題で内閣支持率が急落している。このような犯罪行為は国家の根底を覆すものであるから当然の話であろう。この問題で明らかになったのは、安倍政権や財務省による杜撰な公文書管理というだけではない。もう一つ明らかになったのが、「保守」を自称する人々の狂態である。
彼らの狂態を見れば、今の日本に本当に必要なもの、国民一人ひとりが目指さなければならないことが見えてくる。そしてそれこそが、当ブログの名前でもある「大和民族の団結」なのである。

(続く)

大和民族の団結」とは何か。それは、今の日本の政治情勢の中で、市井の日本人一人ひとりが団結しなければならないということである。当ブログ管理人が、恥ずかしながらかつて「安倍信者」であった頃は、民族の団結とは正反対のことをしていた。すなわち、国民を「右」と「左」に二分化して、(しかもその定義を安倍政権を支持するか否かという極めて稚拙なものとしていた)、自らを極めて稚拙な定義をもって「右」と称されるところに置き、一方でこれもまた極めて稚拙な定義のもとにネット上で「左」と属される人や党の発言や言動などをいちいち徹底的に叩くことこそが、日本の国益になると本気で妄信していたのであった。しかし、そのことが如何に愚かしきことかを知るとき、どうして自らを恥じずにいられよう。
むしろ、安倍政権を支持するか否かという定義をもって日本国民大和民族を左右に分断することが、なぜ国益になろうか。今の日本には、事実上「右」と「左」なる政治的対立軸は消え去ったようなものだ。右を称する者たちが国旗を掲げつつ移民を推進し、カジノを推進し、天皇陛下に反逆した。今の日本には、左右なる政治的対立軸は消え去ったと見るのが適当である。

しかしながら、未だに安倍政権を支持している自称保守派は、左右という虚構の政治的対立軸を作り出し、売国を進める「上」を批判することなく、ただ自らの稚拙な定義をして「左」と認定した人や党の言動をいちいち槍玉に挙げ、上げ足を取るかのごとく批判することをしている。こんなことが、どうして愛国であろうか。結局、彼らは日本の国益などどうでもよく、ただ安倍政権に従属したいと願うばかりである。
森友の決裁文書の改竄問題でも、このような国家を揺るがす大事件の真相を明らかにしようとする姿勢を全く見せず、かえって「財務省の暴走だ!」「安倍政権は関係ない!」などと、醜悪にも政権擁護を繰り返している。それで彼らは恥ずかしくないのだろうか。

では、今日本に存在する政治的対立軸とは何なのか。それは、枝野幸男が言ったように「上」と「下」ということである。上は、現政権と、その取り巻きの大企業、富裕層、資産家である。下とは、まさに国民一人ひとりである。そして、福祉の削減や大増税など、国民を苦しめる全く国益に反することをしているのが、「上」なのであり、一方でそれに対抗せんとするのが普通の国民一人ひとりである。だからこそ、国民一人ひとりが進んで団結し、民族としての自覚を有し、売国政策を推し進める「上」に対抗していかなくてはならないというのが、今の日本の政治状況なのである。
それを考えた時に、下である一般の国民が、同じ民族としての団結を期さず、かえって時の一政権を支持するや否やということで分断されるような状況になれば、得をするのは誰であるかは言うまでもないことだ。このことこそ、当ブログが「大和民族の団結」を最も必要なことであると為す最大の所以なのである。


そこで出てくる思想が、まさにもってファシズム「結束主義」なのであった。以前、愛国社会主義研究会のドゥーチェ氏から、次のようなコメントを頂いた。
以下引用
ファシズムを創始し、ローマ帝国ルネサンスの精神を現代で体現した英雄ムッソリーニ統帥は言いました。
「ヨーロッパに関する限り、大陸の統一を行おうという試みはとんでもなく難しい。各国が独自の相貌、言語、習慣、タイプを持っているから。これらは完全に独自のものであり続け、いかなる形の融合にも抵抗するでしょう。」
「もし車が暴走するなら、それを止めるのが正しいのだ。もし国民が破滅に向かうのなら、暴力を行使してもそれを止めようとする者を、反動主義者と私は呼べない。」
今こそイタリアはムッソリーニの精神に学び強く生まれ変わるべきです。 ファシズムの象徴「ファスケス」は束です。「ファッショ」は結束を意味します。 イタリア国民はまさに結束しようとしています。
そして、我が日本も偉大な先人の精神を受け継ぎ結束しなければいけません。

引用終わり
当ブログが考えていた「大和民族の団結」とは、はからずもファシズムであったのかもしれない。ドゥーチェ氏のご指摘によれば、ファシズムとは「束」を意味する「ファスケス」、「ファッショ」とは結束を意味するという。思想史についてあまり詳しくないので下手なことは言えないが、同一の民族的アイデンティティを共有する国民の深い結束を最上位に置く結束主義こそが、当ブログの主張するところの「大和民族の団結」であり、今の日本にとって必要なことなのである。
もちろん、そういう中において基本的人権などの概念を捨て去るようなことはあってはならない。なぜなら、国家の利益と国民の利益は必ず一致した状況にならなければ、自然な愛国心というものは当然芽生えないからだ。従って、目指すべきは基本的人権を保障した上で、民族の結束を最上位に置く新たなファシズム結束主義である。

そのためには、既存の党派で対応することなど到底できない。今の政治状況は、依然として戦後作られた五十五年体制の劣化版が続いているだけなのである。新たな結束主義政治を実現するためには、国民主体で民族の団結を実現する政党を立ち上げなければならない。そして、そのための第一手段として、異様なネット言論空間を正し、主義主張に関係なくとにかく政権を擁護するという状況になってしまっている今の自称保守言論を正すというためにも、まずは安倍内閣を倒すということが必要なのである。

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私はファシストを自称している。

この「ファシズム」とは如何なる思想なのか。それは私でも完全には分かりきってはいない。
何故なら、「日本のファシズムは未だ発見されていないからである。

否、「引き出されていない」からである。

そもそも「ファシズム」とはどういう意味で、どういう由来があり、どのように出現し今に至っているのか。

ファシズム(fascism)の語源は「束」を意味するラテン語の名詞ファスキス (fascis) の複数形「ファスケス」(fasces)である。

ファスケスとは古代ローマ帝国の執政官の従者が捧げ持った標章で、斧の周囲に十数本から数十本の棒を配し、皮の紐で束ねたものである。



斧が「権力と求心力」、斧を包み込む棒が「周囲の団結する人々」を象徴している。

ローマの時代以降、力や正義、結束や団結、共和制などの象徴としてファスケスは受け継がれてきた。


(フランスの非公式国章)

多民族の移民国家で連邦制・共和制を標榜するアメリカ合衆国は「ローマ帝国の後継者」を気取っている。(そのローマ帝国ほど高潔な思想は無く、軍事力と経済力を誇示しているだけだが。)


(アメリカ上院の紋章)

そして、「ファスケス」から転じて束(たば)、集団、結束を意味する「ファッショ」(fascio)、複数形は複数形である「ファッシ」(fasci)というイタリア語の単語が生まれた。

この「ファッシ」とは「集い」「会」の意味で用いられている。

1919年、元イタリア社会党幹部で第一次世界大戦に従軍したベニート・ムッソリーニは政府と共産主義者に不満を持つ退役軍人を中心にイタリア戦闘者ファッシ(Fasci italiani di combattimento)を組織する。


(統帥ベニート・ムッソリーニ)

目的は「イタリアのファッシ(連帯、団結)」であった。 世界史の用語では「イタリア戦闘者ファッシ」と呼称されるが、意味的に言えば「イタリア戦闘者連帯」とでもしておいた方が分かりやすいと思う。

大戦後のイタリア社会党は国内情勢の不安定化に付け込み、ロシア革命の真似をして1919年から1920年にかけて後に「赤い2年間」と呼ばれるストライキや占拠や暴動を指揮した。
ムッソリーニ率いる戦闘者連帯は社会党の暴力に対し、暴力で対抗した。

そして「イタリア戦闘者連帯」の政治綱領として発表されたものがファシストマニフェスト」(ファシスト宣言)である。

主な内容は以下の通りである。

政治的な要求
・地域を基盤とした普通選挙
・地域を基盤とした比例代表制選挙
・選挙権および被選挙権の女性参政権(当時は他の大半のヨーロッパ諸国では反対されていた)
・経済部門で新設する国民会議(National Council)を政府レベルの組織とする
・イタリアの上院の廃止(当時は富裕層により選挙される過程を経たが、実際には王により直接指名され、1種の王権議会とされていた。)
・労働者、産業、交通、公衆衛生、通信などの専門家による国民会議の形成。法的権限を持った専門家または職人により選ばれ、直接選挙によって内閣の権限を持つ一般委員会に選出される。(この概念はコーポラティズムのイデオロギーによるもので、部分的にはカトリックの社会宣言からも派生した。)

労働および社会的な要求
・全労働者への労働時間の1労働日8時間の規制の、国家の法としての即座の施行
最低賃金
・産業委員会の職務への労働者代表の参加
・産業の実行者または公共の奉仕者として、労働組合への信頼を示す(技術的および士気の価値の向上のため)
・鉄道および交通部門の再編成
・無効な保険に関する法案の見直し
・退職年齢を65歳から55歳に引き下げ


軍事的な要求

・特別な防衛責任を持つ短期雇用の国家的な民兵の創設
・軍需会社の国営化
・平和的だが競争的な外交政策

財政的な要求
・資本に対する強力な累進課税(集約された富の「部分没収」を予想していた)
・多数の貧しい人への特権や国家への負担によって構築された、宗教的な信徒団の資産の没収と、全ての主教職の廃止
・全ての軍事的な供給の契約の見直し
・全ての軍事的な契約中の利益の85パーセントの没収

このように現代でも通用し、また現代ですら達成されていない先進的な綱領を「ファシスト」は掲げたのである。

彼ら「ファシスト」の思想・主張が「ファシズム」(結束主義・団結主義・連帯主義)となったのである。

その特徴は極めて民主的で、労働・福祉政策は左翼的、軍事・外交政策は右翼的という原則を示している。

この綱領と、共産主義者の暴動を鎮圧した実績により戦闘者ファッシ及び1921年に発展的に結成された国家ファシスト党は選挙で大きく議席を伸ばし、そして1922年にローマ進軍によって政権を獲得。


(ローマ進軍)

我々を掻き立てる衝動は一つ、我々を集結させる意思は一つ、我々を燃やす情熱は一つ。それは祖国の救済と発展に貢献する事である。

勝たねばならない、必ず勝つ!イタリア万歳!ファシズム万歳!

(ベニート・ムッソリーニ)

ファシストは僅か3年で革命に成功したのである。

ベニート・ムッソリーニ第二次世界大戦の枢軸国の独裁者のように思われているが、ムッソリーニほど民主的で自由を愛した指導者はいなかっただろう。

初期のムッソリーニ内閣は国家ファシスト党を含めた国民ブロック、および中道右派自由党・人民党、中道左派社会民主党の連立政権であった。ファシスト党出身の閣僚は首相・内相・外相を兼務するムッソリーニを除けば3名(財務大臣法務大臣・フィウーメ総督)に留まった。重要役職を抑えつつも、多党制に配慮した組閣人事となった。
ムッソリーニは強固な挙国一致内閣を樹立する事を構想しており、むしろ連立政権に社会党が参加しなかった事を問題とすら考えていた。

また、「連立政権」と言えば、他政党の中の偉い人を引き抜くことが多いものだが、ムッソリーニは、「学者」や「専門家」など実務能力は高いが必ずしも党内の地位は決して高くはない人物ばかり大臣に引き抜いた。

ある国民党の若手国会議員が、ムッソリーニから「次官を引き受けてもらいたい」と頼まれた。
彼は当時34歳の若者で、当然一人じゃ決められないので、

「党内の者と相談いたしましてお返事させていただきたく……」

と答えると、ムッソリーニ曰く。

『私があなたに入閣を求めるわけは、あなたが"あなた"だからです。
あなたの党派の為ではありません。』

結局、34歳で政務次官に任命されたこの若者は、のちにイタリア共和国大統領になった、ジョヴァンニ・グロンキであった。

1922年12月、王家・党・政府の意見調整の場として、ファシスト党の政治方針を策定する他、重要な外交議題やサヴォイア家の後継者(ピエモンテ公)の選出など、多様な問題について議論する権利を持つファシズム大評議会が設立された。
このようにムッソリーニは独断で物事を進めるような人物ではなかった。


ドイツの国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が政権獲得後に突撃隊を粛清したのとは対照的に、国家ファシスト党民兵組織を排除しなかった。これはファシスト党が自身も含めた「兵士の政党」であるという背景に加えて、粛清や内部対立を嫌い大同団結を好むムッソリーニの政治信念による判断といえた。実際、ムッソリーニヒトラーによる長いナイフの夜事件を聞いた際に妻との会話で「あの男は野蛮人だ。あの殺し方はなんだ」と旧友を冷酷に処断した事への嫌悪感を口にしていた。国民ブロック内で路線の違いが表面化しつつあったイタリア・ナショナリスト協会にも寛容な姿勢を見せ、1923年には国家ファシスト党に合流させる融和策を取った。

私は、ヒトラーについては福祉・労働政策や失地回復を行った外交手腕は評価しているが、SS(親衛隊)の恐怖支配や差別政策は評価していない。
ちなみに、ムッソリーニは「(黒人やユダヤ人の)彼らは、ローマ時代から同胞だった」 と寛容な態度を示した。

1923年、国家ファシスト党選出のアテルノ・ペスカーラ男爵ジャコモ・アチェルボ議員により既存の比例代表選挙を修正する選挙法改正案が提出された(アチェルボ法)。同法では今後の比例代表選挙では全体の25%以上の得票を集め、かつ第一党となった政党が全議席の3分の2を獲得し、残った議席を第2党以下に得票率に応じて分配するとする内容であった。小政党乱立による連立政治や野合を防ぎ、一党独裁制による政治権力の集中というファシズムの重要な目標を意図していた。

もっとも、ムッソリーニ自身は独裁権力を握るつもりはなかった。

1924年の総選挙でファシスト党は圧倒的多数を確保したが、ムッソリーニ圧勝の後も議会政治・多党制を維持する事を約束して選挙連合に参加した人民党、自由党自由民主党と連立政権を組閣している。今や政権内の閣僚の殆どが国家ファシスト党出身で占められていたが、複数の人物が「ムッソリーニ社会党を含めた諸政党との挙国政権樹立を放棄していなかった」と証言している。

ムッソリーニ政権批判の急先鋒となっていたのが野党第一党の統一社会党を率いるジャコモ・マッテオッティ書記長が何者かによって暗殺される(ファシスト党員の突発的な犯行、マフィアによる犯行説がある。ムッソリーニの関与は証明されていない。)事件が起きるとムッソリーニ内閣に対する大規模な反政府運動が発生した。

左翼政党が中心となった反政府運動に中立的な他政党やファシスト党内の分派までが加わり、ファシスト党からの離党者も多数発生、ムッソリーニは窮地に追い込まれた。

しかし結果から言えば精神的指導者であるムッソリーニの権威が党内で決定的に揺らぐことはなく、党の崩壊や分裂には至らなかった。
ファシスト運動も国王や軍の支持が得られなかった事から次第に勢いを失い、最終的にゼネストに踏み切るかどうかで共産党社会党、人民党の対応が分かれて瓦解した。

内紛を制したムッソリーニは党内においては仲裁役、政府内においては既存の多党制を維持しながらの制度改革を考えていたそれまでの計画を不十分と感じ、根本的に国家制度を改革して一党制による独裁政治を行う事を決意した。
ムッソリーニは党の書記長職に就かなかったり、首相時代に連立政権という形を取るなど自身が独裁者になる事は望んでいなかったが、先述の内紛は全体主義を確立するまでの過渡期には独裁者が必要であることを示した。


(統帥ムッソリーニ)

この独裁体制の確立後もファシストイタリアでは4、5年に一回「大選挙」という選挙が行われ国民の信を確認し、エチオピア併合やアルバニア併合など国家の重大な方針を決定する際には必ず国民投票が行われた。

前期のムッソリーニ政権は外交によってギリシャユーゴスラビアから領土を獲得し、英仏と協調してドイツを封じ込め、オーストリアの独立を保障するなど欧州の平和維持に努めた。
かのカトリックの総本山「バチカン市国」はムッソリーニ首相が教皇庁と締結した「ラテラノ条約」によって成立し、イタリア統一の際、教皇領を奪ったことで対立していたイタリア国家とカトリック教会の対立を和解に導くという偉業を成したのである。

しかし、後期のムッソリーニ政権はヒトラーと組み、国力を超えた戦争に突き進んでしまった。
(当初、ムッソリーニはドイツの勝利に懐疑的であったが、フランスを降伏に追い込んだことで焦りが生じたとされる。致命的な判断ミスであったが、この時点でドイツの敗北は予想しえないだろう。)

ネット上のデマでイタリア軍は弱かったとされるが、実際にイタリア軍はドイツ軍や日本皇軍など他の枢軸国と共に活躍した。
北アフリカではイギリス軍を苦戦させ、東部戦線ではソ連軍相手に戦線を維持していた。

しかし、圧倒的な物量に押し負け、遂にはイタリア本土を戦場にしてしまう。

ここに至って、ファシズム大評議会はムッソリーニの解任を決議、ムッソリーニは評議会の決定に従って統帥の地位を降りた。

「素直に政権を下野した独裁者」はムッソリーニくらいしかいないのではないかと思う。

ムッソリーニは引退するつもりでいたが、グランサッソ襲撃後、ドイツに擁立され「イタリア社会共和国」の総統として連合国と継戦し、最後はパルチザンによって無残な処刑をされてしまった。

ムッソリーニの死後も敵対した英国のチャーチルはその死を惜しんでいた。
辛口で知られたチャーチルムッソリーニを「天才」と評し、「古代ローマの精神を具現化した立法者」とまで述べている。

インドのガンディーは「私心のない愛国者」と称賛し、他にも同時代の政治家や文化人にはムッソリーニの支持者が多く存在した。
まさにムッソリーニは20世紀最高の思想家であり革命家であり政治家であったと思う。

ムッソリーニファシズムについて以下のように説明している。

「私はファシズムを捏造したのではない。イタリア人の深層から引き出しただけである。」

ファシズムには決まった形は存在せず、ドイツのナチスとイタリアのファシストの違いを見れば明らかなように国家・民族によって異なる。
また、ファシズムを「引き出した」人物によっても変わってくる。

例えば、同じナチスドイツでもアーリア人至上主義のヒトラーと対立し反西欧帝国主義に基づいてアジア・アフリカの植民地解放を主張したオットー・シュトラッサーら「ナチス左派」と呼ばれる人たちがいた。

ファシズムには様々な可能性があるのだ。

そして、日本のファシズムは未だ引き出されていない。

戦前の日本にも中野正剛先生らの「東方会」、下位春吉先生らの「皇国青年党」、北一輝先生が思想的指導者となり青年将校が中心となった「皇道派」、皇道派に対して永田鉄山東條英機大将が中心の「統制派」が存在したが、少数存在したファシズム政党は政権を獲得できず、軍部の運動も明確にファシズムと呼べるものではなかった。


そもそも、ファシズムとは「下から」の国民運動であり、「上から」の体制運動ではないからだ。


そういう意味で、自民党・安倍政権ごときが「ファシスト」呼ばわりされることは勘違い甚だしいと憤りを覚えるものだ。

日本のファシズムは未だ引き出されていないからこそ、無限の可能性が存在している。

私たちは、日本のファシズムを引き出していきたい。

日本のファシズムであれば、天皇陛下を中心とした「和」の精神、「八紘一宇」の精神は重要なものであると思う。

「和」こそ団結であり、ファッシである!