沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを。

昨日6月23日、韓国の金鍾泌キム・ジョンピル)元首相が逝去された。



金鍾泌閣下は故朴正煕大統領の右腕であり、1961年の革命で活躍、KCIA長官として北韓と対峙した。
政治家としては、日韓国交正常化に尽くし、国内では「漢江の奇跡」の立役者となった。

金泳三や金大中らと共に「三金」と称され、軍政から民政へ着陸した韓国を牽引した指導者であった。

日本より金鍾泌閣下のご冥福をお祈り申し上げます。

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『発 沖縄根拠地隊司令
海軍次官

 所詮、敵来たりなば、老人子供は殺されるべく、婦女子は後方に運び去られて毒牙に供せらるべしとて、親子生き別れ、娘を軍衛門に捨つる親あり。

 看護婦に至りては、軍移動に際し、衛生兵既に出発し、身寄り無き重傷者を助けて□□、真面目にして、一時の感情に駆られたるものとは思われず。

 さらに、軍に於いて作戦の大転換あるや、自給自足、夜の中に遥かに遠隔地方の住民地区を指定せられ、輸送力皆無の者、黙々として雨中を移動するあり。

 これを要するに、陸海軍沖縄に進駐以来、終始一貫、勤労奉仕、物資節約を強要せられつつ(一部はとかくの悪評なきにしもあらざるも)ひたすら日本人としての御奉公の護を胸に抱きつつ、遂に□□□□与え□ことなくして、本戦闘の末期と沖縄島は実情形□□□□□□

 一木一草焦土と化せん。糧食6月一杯を支うるのみなりという。

沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを。』


帝国海軍の沖縄防衛司令官、大田実中将の最期の電文である。



サヨクは「沖縄は日本本土の捨て石にされた」と言う。
ホシュはアメリカ軍に占領された沖縄に金だけ渡して我慢しろと言ってきた。

沖縄の戦いとは何であったのか?
沖縄県民と帝国陸海軍は何のために戦ったのか?
沖縄の現状を英霊はどう思っているだろうか?


沖縄では牛島満陸軍中将(自決数日前に大将に昇進)の下、軍民一体となった防衛計画が進められていた。



皇軍沖縄戦に備えて、お年寄りや子供、女性の台湾や本土への疎開を進めていた。
その最中、卑劣な攻撃により「対馬丸」の悲劇が生じた。

牛島中将は対馬丸撃沈の報を聞くと瞑目、合掌したが、手が震えていたという。それでも皇軍は連合軍上陸直前の1945年3月までに、沖縄本島より延べ187隻で約80,000名、八重山列島より約30,000名の住民を疎開させ、特に大東諸島は殆ど全島民を疎開させた。

12月になって軍中央より『皇土警備要領』が示達された。これは台湾と南西諸島を最前線と位置付けて、戦地となる地域の住民を戦力化し、食糧を1年間分確保の上で、戦力化できない老若婦女子をあらかじめ退避させるというものであったが、第32軍の高級参謀八原博通大佐はより具体化した「南西諸島警備要領」を作成し、牛島中将はこれを裁可した。

1.およそ戦闘能力、もしくは作業力のある者はあげて戦闘準備及び戦闘に参加する。
2.60歳以上の老人、国民学校以下の児童、ならびにこれを世話するに必要な女子は、昭和20年3月までに、戦闘の予期せざる島の北半部に疎開させる。
3.各部隊は所属自動車、その他の車輌、並びに所属舟艇を以て極力右疎開を援助する。
4.爾余の住民中、直接戦闘に参加せざる者は、依然戦闘準備作業、農耕その他生業に従事し、戦闘開始直前急速に島の北半部に疎開させる。
5.県知事は島の北半部に、疎開民のための食糧や居住施設を準備する。


八原大佐はこの要領を作成するにあたってサイパンの二の舞は厳に慎むべき、アメリカは文明国でよもや非戦闘民を虐殺することはないはず。主戦場となる島の南部に非戦闘民をとどめておけば、剣電弾雨のなかを彷徨する惨状になる」と進言し、牛島中将も大いに賛同した。

老若婦女子以外の県民は、陣地構築などの軍の作業に従事したが、牛島自らも県民と共に、首里司令部洞窟壕作りを手伝った。牛島は暇があるたびに作業現場を視察し、中学生や住民にまじって壕掘りの手伝いをした。県民の献身に感動した牛島は軍経理部に出来うる限りの給与を与えるよう指示している。


牛島中将と八原大佐の防衛戦略は巧みで連合軍に損害を与えつつ、防衛線を守り通していたが、愚直な大本営は沖縄防衛軍の戦略を「消極的」と非難し、攻勢を指示して損害を被らせるなど、「上」の指示が現場を困らせる悪い点が見られたものの、三ヶ月以上も抵抗を続けた。

敵将であるアメリカ軍司令サイモン・B・バックナー・ジュニア中将から牛島宛に送られた降伏勧告文には「歩兵戦闘の大家である牛島将軍」と書いてあり、牛島中将は敵からも武功を称えられた。
牛島中将は指揮官でありながら、よく前線に自ら赴き兵士たちに交じって過ごした。
バックナー中将もまた自ら前線を偵察する敵ながら勇敢な指揮官であったが、それが原因で戦死してしまった。
牛島中将は、バックナー中将の死を「惜しい人物を亡くした」と悼み、武士道を示した。

6月18日、遂に組織的戦闘が不可能になり、牛島以下幕僚たちは自決の決心をして大本営への訣別電報のあと最後の命令を発した。

「親愛なる諸子よ。諸子は勇戦敢闘、じつに三ヶ月、すでにその任務を完遂せり。自今諸子、おのおのその陣地に拠り所在上級者の指揮に従い、祖国のために最後まで敢闘せよ。さらば、この命令が最後なり」
「諸子よ、生きて虜囚の辱めをう来ること無く、悠久の大儀に生くべし」


「諸子よ、生きて虜囚の辱めをう来ること無く、悠久の大儀に生くべし」は長勇参謀長が加筆し、牛島大将も裁可したものであった。

この一文によって多くの沖縄県民が犠牲になったという意見もあるし、それも事実だろう。
しかし、沖縄県民と皇軍が最後まで戦ったことにより、日本の命運は伸びたのである。

このことを現代に生きる私達は忘れてはならない。

牛島将軍も大田将軍もみんな沖縄県民へ感謝していた。
だからこそ、日本政府に対して「後世特別の御高配」を求めていたのである。

戦後の日本政府は帝国軍人たちの負託に答えてきたと言えるのか?

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沖縄県と国、新基地巡り対立鮮明 知事、東アジアの変化強調 慰霊の日・戦没者追悼式
 
06:30  琉球新報

 戦後73年目の「慰霊の日」、沖縄県翁長雄志知事は「平和宣言」で、米朝首脳会談で合意された朝鮮半島の完全非核化などに触れ、名護市辺野古の新基地建設計画を再考するよう改めて求めた。安倍晋三首相はあいさつで辺野古新基地建設問題には触れず、その後の記者団の取材には米軍普天間飛行場辺野古移設こそが「負担軽減」だと強調した。政府は8月中旬に埋め立て工事に着手する予定だ。一方の県は22日、沖縄防衛局に工事停止を求める行政指導文を送ったばかり。安倍首相は23日も工事を続ける意向を表明し、県と政府の対立がより鮮明になった「慰霊の日」となった。 県関係者によると、知事が「平和宣言」で特にこだわったのは、朝鮮半島の非核化に向けた動きだ。今月12日の米朝首脳会談以降、北朝鮮が「敵対的」と批判してきた米韓共同訓練を米国が中止し、北朝鮮側に非核化を着実に進めるよう求めるなど、目まぐるしい動きが続く。

 知事は平和宣言で、辺野古の工事を進めることは「沖縄の基地負担軽減に逆行しているばかりでなく、アジアの緊張緩和にも逆行している」と批判した。県幹部は「世界はこれほど動いているのに、日本政府はなぜこれほど変わらない姿勢で基地建設を進めるのか。変わらないなら沖縄の負担が続く。知事はそれを発信したかった」と解説する。

 追悼式で知事が「辺野古に新基地建設を造らせないという私の決意はみじんも揺らぐことはない」と述べた後、「追悼のことば」で県遺族連合会の宮城篤正会長が「米軍普天間飛行場の早急なる移設を熱望すると同時に、戦争につながる新たな基地建設には遺族として断固反対する」と述べた後には、参加者から拍手が響いた。その多くは遺族たちの席からだった。

 翁長知事の平和宣言について、県政野党の自民党幹部からは「今回は去年に比べて政治的すぎた。追悼式の場でああいった宣言をすべきではない。週明けの県議会で取り上げる必要がある」などの批判も上がる。一方、県幹部は「辺野古について知事がトーンダウンすることは一切ない。その決意の表れだ」と強調する。

 知事が政府に辺野古移設計画の再考を強く求めた中、安倍首相は式典後、記者団の取材に「辺野古に移ることで飛行経路が海上に移り、学校はもとより住宅の上空は飛行経路とならない。安全上の観点からも負担軽減に資するものがある」と反論した。首相は他にも西普天間住宅地区の跡地利用が進んでいることや、米軍北部訓練場の過半の返還が、沖縄の本土復帰以来「最大の返還」だとも述べ、政府の負担軽減への努力を強調した。

 一方で知事は平和宣言で特に力を込めて読んだ文言がある。「戦後73年を経た現在でも日本の国土面積の0.6%にすぎないこの沖縄に在日米軍専用施設の70.3%が存在し続けている」


 沖縄への基地集中が変わらない現状を強調し、「負担軽減」を巡る政府との認識の違いは鮮明だった。

 式終了後、県幹部は「名護市では流弾事故も起きたばかりだ。沖縄では同じことが繰り返されている。首相は『沖縄に寄り添う』と言っていたが、言葉が心に響かなかった」と話した。 (島袋良太、吉田健一

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政府はアメリカのために行動しても沖縄県民のことは無視し続けている。
沖縄に多大な負担を任せて、「沖縄振興」と称して米軍頼りの経済構造を作ってきたことが「特別の御高配」なのか?

そもそも、住民がいなくなった普天間を基地に変えたのはアメリカであり、返還することは当然だ。
そして、何故辺野古に新しい基地が必要なのか?

冷戦時代は、アメリカの軍事力にはソ連中共の侵略に対する抑止効果があった。
しかし、そのために日米地位協定」によって特権を認められたアメリカ軍は日本人の土地を好き放題に使い、日本人に暴力を振るっても日本の法によって裁かれることはなかったのだ。

北韓中共との対立姿勢を止めたアメリカはアジアへの影響力を低下させていく方向に向かっている。
その状況下で、あくまでもアメリカにしがみついて更なる対米従属へ向かうことは政治・経済・軍事全ての面でアメリカの完全なる属国となることを意味する。

今こそ対米自立の絶好の機会であるのに(本来は日本人の手でアメリカを追放するべきであったが)、戦後占領政府とアメリカ傀儡の自民党には不可能なのだ。

日本を、沖縄を守ることは、偉大な先祖、帝国陸海軍がそうであったように日本人の使命だ。

今、日本国家がするべきことは日米安保条約日本国憲法を破棄して自主国軍を再建し、日本独力で国を守れるようにすること。
そして、米軍によって破壊された沖縄の自然を元に戻せるように努力し、沖縄の特色ある産業を振興して沖縄を本土並みの経済水準に持ち上げることである。

それは戦後占領政府には不可能だろう。
民族派愛国者による新政府によって成すことができると考えている。

そのためにも先ずはアメリカの走狗である安倍自民党政権を打倒し、民族派愛国者による政治勢力の躍進を図らねばならない。